◆和紙情報

和紙を次世代につなぎ、世界に広げるため

 特集「技術継承を目指す地域おこし協力隊の活動『山口徳地手漉き和紙』編」の3回シリーズの最終回となります。

 平成21年に89人だった地域おこし協力隊は昨年2,625人となっており様々な分野で活動されています。その中で和紙に関わる方は、今春ご紹介しました遠野和紙(いわき市)以外にもいらっしゃるかと思いますが、希望と信念を抱き、参加する前に和紙について様々な事前調査を行ない、和紙研の例会見学にもいらっしゃった方は、徳地和紙の協力隊、船瀬春香さん一人です。これは貴重な存在で、無理を言って協力隊体験記を3回にわたってお願いをいたしました。

 このシリーズは、和紙作り「0」の女性が、地域おこし協力隊として、山口市徳地町に移住し、現在3軒となった伝統産業である徳地和紙の技術を、千々松和紙工房で修得し、次世代に和紙作りをつなげ、それを通じて地域の活性化をはかると共に、英語力を活かし和紙を世界に紹介できればという希望をもって、臨んだ1年半の奮闘記です。

 活動時間は3年間。現在、折り返し地点に立っている船瀬さんは、これまでの体験と新しいチャレンジ、そしてこれからをどう思うのかご覧下さい。

 

「徳地和紙紹介と協力隊参加」その3

              山口市地域おこし協力隊 船瀬春香

原木栽培への挑戦

 山口市徳地の千々松和紙工房を活動拠点として和紙づくりの練習をする一方、今年から楮と三椏、トロロアオイの栽培にも取り組み始めた。千々松和紙工房の四代目で同僚でもある千々松友之さんに教えてもらいながら、楮や三椏の苗やトロロアオイの種を植え、水をまいて肥料を与え、草を刈り、台風の前には対策を施した。

 

     1 紙漉き(千々松哲也氏) %ef%bc%91

     2 紙漉き(千々松友之氏)%ef%bc%92

 農業経験ゼロの自分にとっては、学ぶことの多い作業だが、体力的な負担が大きく、何かを育てることの大変さを思い知らされるばかりだった。植えた苗も、根付かなかったり枯れてしまったりして、肩を落とすことが多かった。体力の限界まで頑張っても、必要な作業量には全く追いつかず、「畑の世話をできていない」というプレッシャーが積み重なっている。

 

     3 楮%ef%bc%93-1

     4 三椏苗木%ef%bc%94

”紙王”雁皮紙への挑戦

 和紙づくりを始めてから、主に楮の障子紙、三椏のハガキ、名刺などの紙漉きをしてきたが、 この秋、”紙王”と呼ばれる雁皮紙作りを試みた。 白皮を煮熟して、一昼夜ほど流水にさらしてから、チリよりに取り掛かる。すぐに、非常に作業しずらいことに気がついた。取り除くべきチリや傷が、内皮の表面だけではなく奥の方にも隠れ ていて、それを指先やピンセットでつまみ出さなければならない。「三椏並みに手間がかかる…」.と 呟きながら、想定していた倍以上の時間をかけてチリよりを終えた。 次の工程となる叩解は、昔ながらに木の棒でやってみようと思い、水を加えながら叩き始めた。 リズムよく叩きたいが、棒(樫の木)が重いため、頻繁に右手と左手を持ち替えながらでないと 続けられない。30分ほど叩いても思うように繊維が解れず、目指す状態には程遠い。さらに1時 間叩いて、ギブアップした。昔の人は、これを延々やっていたのだろうか。呆然と立ち尽くしてし まった。

 

     5 雁皮の叩解前%ef%bc%95

 いよいよ紙漉き。叩解した原料を小さな簾桁(30cm x 40 cm)で漉いてみたところ、透明感の ある繊維なので、どのくらいの厚みになっているかがわかりにくい。憧れているのは、カゲロウの 羽のような極薄の雁皮紙だが、叩解の状態や乾燥の技術を考えると、今の自分には難しい。実験 と思って、できるだけ薄めのものや厚めのものを漉いてみた。 圧搾後の乾燥は40度で始めてみたが、乾き始めると紙の隅が引きつれて剥がれてしまう。すぐ に30度に下げてみたが、紙自体にムラがあるため、多少の引きつれは避けられなかった。できの 悪い紙ではあるが、乾燥機から剥がす瞬間には喜びを感じる。楮とも三椏とも違い、雁皮は独特 の音を立てる。「シャリンシャリン」と「パリンパリン」を掛け合わせたような音。触れるたび に心地よい音を生み出す雁皮紙は、楽器かもしれないと思う。

    6 雁皮の紙漉き%ef%bc%96

    7 紙漉き(船瀬春香さん)7

 

障子紙サイズの雁皮紙への挑戦

 木の棒で叩解しきれなかった分は、漉きやすくするために少量の楮を加えて叩解機にかけ、障 子紙の簾桁で漉いてみた。楮を加える知恵や漉き方は、指導者である千々松哲也氏から教えて頂 いている。「雁皮は暴れる」と聞いていたが、紙漉きも乾燥も難しく、障子紙サイズのものは、一枚もまと もに仕上がらなかった。具体的には、漉いた紙が簾から離れず、紙床に置く際に大きな気泡がで きてしまい、圧搾後に紙床から剥がそうとするとこの気泡が破れてしまう。すると、上下の紙の 一部だけ重なったり破れたりしたものが連続してできてしまう。手間暇かけて準備した貴重な原 料を、まともな紙に仕上げられない罪悪感と徒労感に襲われた。

地域おこし協力隊としての挑戦

 山口市の地域おこし協力隊として、千々松友之さんと共に、徳地和紙の振興を目指し、和紙づくり以 外の活動も行なっている。例えば、徳地の夏祭り向け「書道パフォーマンス」用の障子紙の提供、山口県長門市で開催された「アグリアートフェスティバル」での展示販売、山口県「ものづくりフェスタ」での 子供向け和紙職人体験ワークショップや、徳地の青少年自然の家で開催された「森フェス」での紙漉き体 験、地域の大学生や中学生を対象とした和紙づくり体験、ロータリークラブ会員に向けた徳地和紙の紹介、 移住イベントでのワークショップ実施など、手漉き和紙ならではの味わいや面白さを伝えたいと思って挑戦している。 ただ、このようなイベントの意義は認識しているものの、準備と対応に追われて、和紙づくりや 原木栽培の時間がとれなくなるという側面もあり、両立の難しさを痛感している。

    8 書道パフォーマンス%ef%bc%98

    9 徳地和紙製のはがき10

    10 徳地和紙を使った和紙人形「徳地和紙・紙人(かみびと)」(冨永嘉子 作)%ef%bc%99

 

続けることへの挑戦

 「ものづくり」に憧れ、和紙づくりを自ら海外に紹介したいという夢を抱えて徳地に移住して1 年半。和紙づくりと原木栽培、徳地和紙の振興、地域活動への参加に全力で取り組んできた。今 の気持ちは、正直なところ、「心身ともにヘトヘト、展望もまだ見えない」。けれど、この状態 になったことで、現状のままでは続けられないということが明確になった。では、どうやったら 続けられるのか。地域おこし協力隊の任期満了を迎える1年半後に向けて、その方法を探っていくつもりだ。

 

山口市地域おこし協力隊 船瀬春香

和紙文化研究会と全国の皆様へ

 徳地和紙の生まれる「山口市徳地」は、山と川に囲まれ、水田と畑が広がるのどかな集落です 東京からのアクセスは、羽田空港から山口宇部空港へのフライト時間が1時間45分。朝10:30の便なら12:15に山口宇部空港に到着します。宇部空港から徳地までは車で約1時間20分です。 国宝「瑠璃光寺五重塔」、「雪舟庭」、日本一古い天満宮「防府天満宮」、その側にある名勝 「毛利庭園」などは徳地から車で約30分。また、県内の有名観光地(下関、岩国、萩など)には大体車 で1時間半あれば行くことができます。美味しい地酒も揃っています。山口・徳地へ、どうぞおいでませ。

山口市観光情報サイト http://yamaguchi-city.jp

山口県観光情報サイト http://www.oidemase.or.jp

 

編集後記

 この原稿をいただいた時、和紙作り「0」からのスタートである船瀬さんにとって、この1年半、体力面が大きく立ちふさがって、それが影響し文章もマイナス面が色濃くでているように感じました。この文面だけ見ていると、和紙作りの魅力より大変さの方に天秤が動いてしまいそうですが、船瀬さんとの原稿をやり取りするメールの中では、自然に感謝し、困難を乗り越えてこうとするエネルギーを感じ、私の中ではプラス面に大きく振り子が動いたような気がします。船瀬さんの許しを得てその辺に触れたいと思います。

 今年6月に杉原紙研究所(兵庫県多可町)を中心に行なわれた「全国手漉き和紙青年の集い」で出会った雁皮紙に衝撃を受け、この文章を書いた後に、その作り手に会いに行ったそうです。その時の感想を彼女は「昔の牛小屋を漉き場にして、手打ち叩解、板干しという手間暇を惜しまず、作られた紙は、純粋で強くしなやかで美しく、関わるもの全てを一層高みに導くようでした。」と語り、さらにその訪問によって「気分が一新しました。今は次の和紙づくりが楽しみという気持ちです。」と。

 素晴らしい人や紙に出会い感動することで、それまで抱えていた重荷がスッと軽くなり、踏み出す一歩に弾みがついていくことがあります。自ら格闘して思うように行かない経験をした後ならば、その一歩は力強く、二歩三歩と進んで行けるのでしょう。そして船瀬さんは、以下のようにも伝えてくれました。

 「ただ、ものづくりとは終わりがなく、伝統製法をできるだけ守ろうとすれば、ひたすら地味な作業の連続であることは自然なことだと思うようになりました。

 けれども、自分では太刀打ちできない力と豊かさをもたらしてくれる自然と対話しながら作業をすることは、「楽しい、うれしい」という言葉以上の手応えをもたらしてくれます。

 和紙づくりをするようになって、食べ物を育ててくれたり物を生産してくれる全ての人々や技術に深く感謝するようになりました。何事も簡単ではなく、誰かの努力と創意工夫によってあらゆるものが生みだされて流通していることを、身を持って感じています。これは、和紙づくりをしていて、一番良かったことです。

 いつか、自分の手から美しい紙を生み出し、それを使った誰かが感動してくれたら本当に幸せです。そんな思いでおります。」と。

 船瀬さんにとって大きな1年半だったことがよくわかります。もう多くを語ることは必要なく、これからの彼女と徳地和紙に心からエールを贈りたいと思います。(HP担当 日野)