産地交流

◆産地交流

今年度は色々な産地と交流を考えておりますが、昨年から始まった小川のトロロアオイ、そして、来年に向けて越前の紙の神様などからお知らせしていきたいと思います。

「大切な国産和紙原料 ―トロロアオイの作付け―」       

 昨年10月に「緊急報告及び急募「トロロアオイ希望者求む」というお知らせをしましたら、全国の紙すき産地・工房の方々から温かいご協力をいただき、事情によって生産過剰分になってしまった分は無駄にすることなくすみました。生産者の代表である黒沢岩吉さんが、3月の和紙研例会にいらっしゃって、報告と謝意を表されたことはFBでもお知らせしておりました。

 昨年はこういう状況だったために、生産者の方々は今年度の作付けをどうしたらいいか、不安定な状況にあるようです。そこで、受注生産体制にすれば、紙すき産地・工房の方々の原料確保も可能になり、黒沢さんたちも生産が安定することとなり、現在必要分を昨年ご協力いただいた方々にお尋ねしているようです。

 それらの情報をもとに、今月末頃に作付け会議を行なうそうですので、もし、必要な方々がありましたら、4月20日まで下記アドレスの販売担当者にお問い合わせいただくか、和紙研産地交流担当の日野までお問い合わせ下さい。

販売担当情報:http://washiken.sakura.ne.jp/date/2016/10/

和紙文化研究会(日野まで) entry@washiken.sakura.ne.jp

和紙原料の作付けから収穫まで、このHPで状況をお知らせして行こうと考えております。和紙作りに大切な国産和紙原料ですから、みなさんで見守って行きましょう。

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「紙の神様 ー壱千三百年の大祭・御神忌」

 越前和紙の源といえる有名な紙祖神 岡太神社・大瀧神社では、毎年春と秋に例祭が行なわれていますが、来年の平成三十年は「千三百年の大祭」を迎えます。この1300年という時間の経過は、和紙が日本文化として長き歴史を有することと、生活の中に根付いてきたことがわかり、和紙が日本にとってどれだけ重要なものであるか意味するもので、越前五箇地区のみならず、国内の和紙関係者にとっても大きなできごとと考えられます。

 来年の春5月の「一壱千三百年の大祭・御神忌」には和紙関係者の多くの参加が足を運ばれると想像しますが、この一年、このHPでは和紙の歴史をこの1300年の祭事からかいま見たいと考えております。

平成三十年 一壱千三百年の大祭・御神忌予定

5月2日 お下り

  3日 法華八講

  4日 式典

  5日 お神輿渡り お上り

今年の春の例大祭情報

日 時:2017年5月4日 9:00

場 所:岡太神社・大瀧神社 

    〒915-0234 福井県越前市大滝町23-10 電話0778-42-1151

 

両神社の春祭りは5月3~5日の3日間行なわれておりますので、詳しくは下記HPをご参照下さい。

http://www.washi.jp/history/index.html

http://www.washi.jp/history/maturi1.html

http://www.washi.jp/history/maturi4.html

過去の「春の例大祭風景」

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産地交流

「北信濃内山和紙のふるさとを訪ねて」 内山和紙の今昔 4 

 今回は近代の紙漉きに貢献をした方を顕彰する「山田作左エ門旌徳碑」と、内山和紙の生産地を歴史に合わせてみていきます。時代と共に移り変わる地域を垣間みて下さい。

山田作左エ門旌徳碑

所在地 木島平村内柳久保地区国道403号北側
立 碑 明治27年1月
撰 文 綿貫香雲

1 碑全体Exif_JPEG_PICTURE
2 碑陽Exif_JPEG_PICTURE
3 碑陰Exif_JPEG_PICTURE
4 釈文Žß•¶

 地面から台座を含め4段になり、1m20cm程上に碑石があり、この碑の重要性がわかります。碑陽は額が楷書で横書き「旌德碑」とあり、碑文も楷書で1行16字全8行、寸法が縦1m21cm×59.5cm。碑陰は上から3段が1列13人、4段目に8人、5段目に7人の名前が刻され、4、5段を通して左側に「三百人門弟中」とあり、最後に石工の名が刻されています。恐らく世話になった三百人の中から代表して五十余名の名を刻んだということでしょう。
 『石碑の香り』(昭和59年 木島村教育委員会刊行)には、この碑石が紹介され、略伝として、事業家であった山田作左エ門氏が産業開発に貢献されましたが、特に製紙法の改良に尽力され、近郷に名声が広がり、この顕彰碑が建てられるに至ったとあります。また、平成26年No.172号の「広報きじま平」にも「村の宝」として取上げられており、ここでは「信濃紙」を内山和紙のことと説明しています。

 

1 地図① 長野県北部‘S‘E’·–ì’n}
2 地図② 木島平村ƒvƒŠƒ“ƒg

 内山紙の歴史では、その起源の有力な説として、江戸時代の寛文元年(1661年)に信濃国高井郡内山村(現在の木島平村内山)の萩原喜右ヱ門が美濃の紙漉法を習得、帰郷して内山で漉いたといわれています。(地図② 内山地区参照)
 また、内山和紙協同組合によれば、江戸時代の宝永3年(1706年)の「信濃国高井郡・水内郡郷村高帳」に「紙漉運上銀二十五匁七分一原」という記載があるということから江戸中期には紙製造が徴税対象とされたことがうかがえるということです。その二つの地域は地図①を参照。
 そして、近代に入り技術の改良や動力も導入され、明治42年には製造1130戸、販売175戸、原料供給1354戸及び、明治44年には1町12ヶ村1,156戸で長野製紙同業組合が設立され、昭和16年には下高井郡と下水内郡667戸で高水和紙工業組合設立されたということです。その地域は、地図①を参照。
 戦後再編を繰り返し、平成15年名称を「内山紙協同組合」(所在:飯山市)に変え今日に至っています。(平成24年組合員7名)そして、木島平村でも昭和45年に絶えてしまったものを、昭和62年に内山紙の復興、そして、保存・伝承を目的に「内山手すき和紙体験の家」が創設され、現在に至っています。
 和紙研でも平成20年2月の研修旅行「長野県飯山市瑞穂・木島平内山和紙の里を訪ねる」でお邪魔したことがありました。

http://www.uchiyama-gami.jp/history.html
http://kamisukiya.com

◆産地交流

「北信濃内山和紙のふるさとを訪ねて ―水と古墳と紙の村 木島平―」
内山和紙の今昔 第3回
第三回も前回と同じく「内山和紙体験の家」のご協力をいただき、内山和紙の地元の方々が綴られた思い出の中から「紙すきの思い出」を紹介します。(wordデータになっております)

PDFデータ

 

 
なお「一部読みづらい部分や方言的言い回しなどはわかりやすいようにしていること」また、「思い違いなど事実と異なる点が含まれている可能性のあることをお含みおき下さい」ということは前回同様です。
〈資料提供:木島平村・内山和紙体験の家 http://kamisukiya.com/ 〉

◆産地交流

「北信濃内山和紙のふるさとを訪ねて ―水と古墳と紙の村 木島平―」       
内山和紙の今昔 第2回 
 第一回は、和紙研FaceBookでも多くの方々からみていただきました。
 第二回は前回と同じく「内山和紙体験の家」のご協力をいただき、内山和紙の地元の方々が綴られた思い出の中から「紙すきの思い出」を紹介します。(紙すきの思い出

紙すきの思い出

 工房代表の上埜暁子さんによると、「ご本人が書いてくださった文章の中で、一部読みづらい部分や方言的言い回しなどはわかりやすいようにしていること」また、「個人の思い出を辿ったものですので、思い違いなど事実と異なる点が含まれている可能性のあることをお含みおき下さい」ということです。
〈資料提供:木島平村・内山和紙体験の家 http://kamisukiya.com/ 〉

◆産地交流

「北信濃内山和紙のふるさとを訪ねて ―水と古墳と紙の村 木島平―」       

内山和紙の今昔 第1回 
和紙研は全国の産地と交流して和紙に関する様々な情報をお知らせしていきたいと考えております。それは単独では中々広がらないものでも、ネットワークの中では、様々なことを知ることができると考えられるからです。ただ、多くの産地がありますので、少しずつ広げて行きたいと考えております、各産地の和紙及び和紙周辺の情報がありましたら和紙研会員までお知らせ下さい。

 和紙研の会員が20年以上前から縁あって木島平村によく出かけており、「内山和紙体験の家」と交流をもつことになりました。その中で、かつて障子紙で全国に名を馳せた内山和紙の地元で、近年手漉き和紙工房が一つになってしまったことを考えながら、和紙に携わる者として互いに何かやれることはないか模索していました。
 そこで、地元の協力を得て、情報を交換し広く発信していくこと、内山和紙(木島平村)の紙漉の歴史を見直して現代に生かすことはできないか、また、地元の宝である古墳や出土品などの古い歴史、石碑石仏、湧き出る水などを利用して新たな手すき和紙の利用は考えられないかなど、智恵を出し合っていければ幸いです。
 第一回は「内山和紙体験の家」のご協力をいただき、内山和紙の地元の方々が綴られた思い出の中から「内山紙郷の一年」を紹介します。(wordデータになっております)
 工房代表の上埜暁子さんによると、「ご本人が書いてくださった文章の中で、一部読みづらい部分や方言的言い回しなどはわかりやすいようにしていること」また、「個人の思い出を辿ったものですので、思い違いなど事実と異なる点が含まれている可能性のあることをお含みおき下さい」ということです。
〈資料提供:木島平村・内山和紙体験の家 http://kamisukiya.com/ 〉

 

信濃紙」の記載のある村内の内山紙関連石碑

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