協力隊

◆協力隊

因州和紙へ協力隊求む
鳥取市青谷町は、「因州和紙」の一大産地で、書道用紙の生産を中心に和紙職人たちの営みが続く「和紙の里」です。しかし、近年伝統技術を受け継いできた手すき和紙職人が減り、手すき和紙産地としての存続と後継者の育成が喫緊の課題となっています。
こうした課題を解決し、この地域を「和紙の里」として活性化するためには、和紙関係者や地域、行政との連携による取り組みが肝心です。そして、地域外からの視点、発想で因州和紙の魅力を引き出し、積極的に活動する「地域おこし協力隊」がぜひとも必要です。           〔鳥取県鳥取市〕

募集人員:1名 20歳以上 男女不問
賃金:月額166,000円(賞与なし)
雇用期間:平成29年7月1日(委嘱予定日)から平成30年3月31日まで(予定)ただし、最長で平成32年6月30日まで更新することができます。
申込受付期間:2017年05月01日~2017年05月31日
他に諸条件がありますので以下に問合せ下さい。
〒689-0592 鳥取県鳥取市青谷町青谷667番地
TEL:0857-85-0011 FAX:0857-85-1049 担当:松原
http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1458088327708/index.html
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1493600301456/index.html

◆和紙情報

和紙を次世代につなぎ、世界に広げるため

 特集「技術継承を目指す地域おこし協力隊の活動『山口徳地手漉き和紙』編」の3回シリーズの最終回となります。

 平成21年に89人だった地域おこし協力隊は昨年2,625人となっており様々な分野で活動されています。その中で和紙に関わる方は、今春ご紹介しました遠野和紙(いわき市)以外にもいらっしゃるかと思いますが、希望と信念を抱き、参加する前に和紙について様々な事前調査を行ない、和紙研の例会見学にもいらっしゃった方は、徳地和紙の協力隊、船瀬春香さん一人です。これは貴重な存在で、無理を言って協力隊体験記を3回にわたってお願いをいたしました。

 このシリーズは、和紙作り「0」の女性が、地域おこし協力隊として、山口市徳地町に移住し、現在3軒となった伝統産業である徳地和紙の技術を、千々松和紙工房で修得し、次世代に和紙作りをつなげ、それを通じて地域の活性化をはかると共に、英語力を活かし和紙を世界に紹介できればという希望をもって、臨んだ1年半の奮闘記です。

 活動時間は3年間。現在、折り返し地点に立っている船瀬さんは、これまでの体験と新しいチャレンジ、そしてこれからをどう思うのかご覧下さい。

 

「徳地和紙紹介と協力隊参加」その3

              山口市地域おこし協力隊 船瀬春香

原木栽培への挑戦

 山口市徳地の千々松和紙工房を活動拠点として和紙づくりの練習をする一方、今年から楮と三椏、トロロアオイの栽培にも取り組み始めた。千々松和紙工房の四代目で同僚でもある千々松友之さんに教えてもらいながら、楮や三椏の苗やトロロアオイの種を植え、水をまいて肥料を与え、草を刈り、台風の前には対策を施した。

 

     1 紙漉き(千々松哲也氏) %ef%bc%91

     2 紙漉き(千々松友之氏)%ef%bc%92

 農業経験ゼロの自分にとっては、学ぶことの多い作業だが、体力的な負担が大きく、何かを育てることの大変さを思い知らされるばかりだった。植えた苗も、根付かなかったり枯れてしまったりして、肩を落とすことが多かった。体力の限界まで頑張っても、必要な作業量には全く追いつかず、「畑の世話をできていない」というプレッシャーが積み重なっている。

 

     3 楮%ef%bc%93-1

     4 三椏苗木%ef%bc%94

”紙王”雁皮紙への挑戦

 和紙づくりを始めてから、主に楮の障子紙、三椏のハガキ、名刺などの紙漉きをしてきたが、 この秋、”紙王”と呼ばれる雁皮紙作りを試みた。 白皮を煮熟して、一昼夜ほど流水にさらしてから、チリよりに取り掛かる。すぐに、非常に作業しずらいことに気がついた。取り除くべきチリや傷が、内皮の表面だけではなく奥の方にも隠れ ていて、それを指先やピンセットでつまみ出さなければならない。「三椏並みに手間がかかる…」.と 呟きながら、想定していた倍以上の時間をかけてチリよりを終えた。 次の工程となる叩解は、昔ながらに木の棒でやってみようと思い、水を加えながら叩き始めた。 リズムよく叩きたいが、棒(樫の木)が重いため、頻繁に右手と左手を持ち替えながらでないと 続けられない。30分ほど叩いても思うように繊維が解れず、目指す状態には程遠い。さらに1時 間叩いて、ギブアップした。昔の人は、これを延々やっていたのだろうか。呆然と立ち尽くしてし まった。

 

     5 雁皮の叩解前%ef%bc%95

 いよいよ紙漉き。叩解した原料を小さな簾桁(30cm x 40 cm)で漉いてみたところ、透明感の ある繊維なので、どのくらいの厚みになっているかがわかりにくい。憧れているのは、カゲロウの 羽のような極薄の雁皮紙だが、叩解の状態や乾燥の技術を考えると、今の自分には難しい。実験 と思って、できるだけ薄めのものや厚めのものを漉いてみた。 圧搾後の乾燥は40度で始めてみたが、乾き始めると紙の隅が引きつれて剥がれてしまう。すぐ に30度に下げてみたが、紙自体にムラがあるため、多少の引きつれは避けられなかった。できの 悪い紙ではあるが、乾燥機から剥がす瞬間には喜びを感じる。楮とも三椏とも違い、雁皮は独特 の音を立てる。「シャリンシャリン」と「パリンパリン」を掛け合わせたような音。触れるたび に心地よい音を生み出す雁皮紙は、楽器かもしれないと思う。

    6 雁皮の紙漉き%ef%bc%96

    7 紙漉き(船瀬春香さん)7

 

障子紙サイズの雁皮紙への挑戦

 木の棒で叩解しきれなかった分は、漉きやすくするために少量の楮を加えて叩解機にかけ、障 子紙の簾桁で漉いてみた。楮を加える知恵や漉き方は、指導者である千々松哲也氏から教えて頂 いている。「雁皮は暴れる」と聞いていたが、紙漉きも乾燥も難しく、障子紙サイズのものは、一枚もまと もに仕上がらなかった。具体的には、漉いた紙が簾から離れず、紙床に置く際に大きな気泡がで きてしまい、圧搾後に紙床から剥がそうとするとこの気泡が破れてしまう。すると、上下の紙の 一部だけ重なったり破れたりしたものが連続してできてしまう。手間暇かけて準備した貴重な原 料を、まともな紙に仕上げられない罪悪感と徒労感に襲われた。

地域おこし協力隊としての挑戦

 山口市の地域おこし協力隊として、千々松友之さんと共に、徳地和紙の振興を目指し、和紙づくり以 外の活動も行なっている。例えば、徳地の夏祭り向け「書道パフォーマンス」用の障子紙の提供、山口県長門市で開催された「アグリアートフェスティバル」での展示販売、山口県「ものづくりフェスタ」での 子供向け和紙職人体験ワークショップや、徳地の青少年自然の家で開催された「森フェス」での紙漉き体 験、地域の大学生や中学生を対象とした和紙づくり体験、ロータリークラブ会員に向けた徳地和紙の紹介、 移住イベントでのワークショップ実施など、手漉き和紙ならではの味わいや面白さを伝えたいと思って挑戦している。 ただ、このようなイベントの意義は認識しているものの、準備と対応に追われて、和紙づくりや 原木栽培の時間がとれなくなるという側面もあり、両立の難しさを痛感している。

    8 書道パフォーマンス%ef%bc%98

    9 徳地和紙製のはがき10

    10 徳地和紙を使った和紙人形「徳地和紙・紙人(かみびと)」(冨永嘉子 作)%ef%bc%99

 

続けることへの挑戦

 「ものづくり」に憧れ、和紙づくりを自ら海外に紹介したいという夢を抱えて徳地に移住して1 年半。和紙づくりと原木栽培、徳地和紙の振興、地域活動への参加に全力で取り組んできた。今 の気持ちは、正直なところ、「心身ともにヘトヘト、展望もまだ見えない」。けれど、この状態 になったことで、現状のままでは続けられないということが明確になった。では、どうやったら 続けられるのか。地域おこし協力隊の任期満了を迎える1年半後に向けて、その方法を探っていくつもりだ。

 

山口市地域おこし協力隊 船瀬春香

和紙文化研究会と全国の皆様へ

 徳地和紙の生まれる「山口市徳地」は、山と川に囲まれ、水田と畑が広がるのどかな集落です 東京からのアクセスは、羽田空港から山口宇部空港へのフライト時間が1時間45分。朝10:30の便なら12:15に山口宇部空港に到着します。宇部空港から徳地までは車で約1時間20分です。 国宝「瑠璃光寺五重塔」、「雪舟庭」、日本一古い天満宮「防府天満宮」、その側にある名勝 「毛利庭園」などは徳地から車で約30分。また、県内の有名観光地(下関、岩国、萩など)には大体車 で1時間半あれば行くことができます。美味しい地酒も揃っています。山口・徳地へ、どうぞおいでませ。

山口市観光情報サイト http://yamaguchi-city.jp

山口県観光情報サイト http://www.oidemase.or.jp

 

編集後記

 この原稿をいただいた時、和紙作り「0」からのスタートである船瀬さんにとって、この1年半、体力面が大きく立ちふさがって、それが影響し文章もマイナス面が色濃くでているように感じました。この文面だけ見ていると、和紙作りの魅力より大変さの方に天秤が動いてしまいそうですが、船瀬さんとの原稿をやり取りするメールの中では、自然に感謝し、困難を乗り越えてこうとするエネルギーを感じ、私の中ではプラス面に大きく振り子が動いたような気がします。船瀬さんの許しを得てその辺に触れたいと思います。

 今年6月に杉原紙研究所(兵庫県多可町)を中心に行なわれた「全国手漉き和紙青年の集い」で出会った雁皮紙に衝撃を受け、この文章を書いた後に、その作り手に会いに行ったそうです。その時の感想を彼女は「昔の牛小屋を漉き場にして、手打ち叩解、板干しという手間暇を惜しまず、作られた紙は、純粋で強くしなやかで美しく、関わるもの全てを一層高みに導くようでした。」と語り、さらにその訪問によって「気分が一新しました。今は次の和紙づくりが楽しみという気持ちです。」と。

 素晴らしい人や紙に出会い感動することで、それまで抱えていた重荷がスッと軽くなり、踏み出す一歩に弾みがついていくことがあります。自ら格闘して思うように行かない経験をした後ならば、その一歩は力強く、二歩三歩と進んで行けるのでしょう。そして船瀬さんは、以下のようにも伝えてくれました。

 「ただ、ものづくりとは終わりがなく、伝統製法をできるだけ守ろうとすれば、ひたすら地味な作業の連続であることは自然なことだと思うようになりました。

 けれども、自分では太刀打ちできない力と豊かさをもたらしてくれる自然と対話しながら作業をすることは、「楽しい、うれしい」という言葉以上の手応えをもたらしてくれます。

 和紙づくりをするようになって、食べ物を育ててくれたり物を生産してくれる全ての人々や技術に深く感謝するようになりました。何事も簡単ではなく、誰かの努力と創意工夫によってあらゆるものが生みだされて流通していることを、身を持って感じています。これは、和紙づくりをしていて、一番良かったことです。

 いつか、自分の手から美しい紙を生み出し、それを使った誰かが感動してくれたら本当に幸せです。そんな思いでおります。」と。

 船瀬さんにとって大きな1年半だったことがよくわかります。もう多くを語ることは必要なく、これからの彼女と徳地和紙に心からエールを贈りたいと思います。(HP担当 日野)

◆和紙情報

各地の和紙を次世代につなぐため

特集 「技術継承を目指す地域おこし協力隊の活動『山口徳地手漉き和紙』編」  

  徳地和紙の船瀬さん、和紙作りと格闘しながらの1年、生活状況も大きく変わったことと思います。様々な新しいできごとや出会い、そして発見や失敗、感動もあり、疲れ果ててバタン休ということもあるでしょう。特集の2回目は船瀬さんが体験してきた和紙作りを彼女の目線で伝えていただきます。また、お世話になっている「千々松和紙工房」の製品やそれを入手できる所も最後に紹介します。
 特集3回目は、秋(10月)の予定ですが、作業状況によって月が変わるかもしれませんのでご了承下さい。
 全国の歴史的和紙産地には同じような状況があると思います。舟から簀で紙料を汲み上げ一枚の紙になる所は和紙作りの最も魅力的な場面で、見る人は感激しますが、その一瞬を作り出すまでに様々な苦労があることがかくれています。それらをきちんと見て応援していきたいものです(HP担当日野)

 

「徳地和紙紹介と協力隊参加」その2                        

                    山口市地域おこし協力隊 船瀬春香

徳地手漉き和紙  
   山口市徳地島地にある「千々松和紙工房」では、山口市指定無形文化財徳地手漉き和紙保持者である千々松哲也氏が、「白保紙」(しらほし)という極薄の楮の和紙を始め、障子紙、半紙、名刺、ハガキ、便箋、封筒、短冊、色紙、色染め紙、和綴じノートなどを作っている。
 千々松哲也氏はこの道60年で、原料の処理から紙の加工、簾桁の修理、和紙漉き体験の指導まで行う「和紙マスター」。自分は現在、哲也氏のご指導の下、長男の友之氏(自分と同じく地域おこし協力隊)と共に、和紙づくりの練習をさせて頂いている。 1 千々松和紙工房の製品_

 

生活に密着した和紙づくり  
 千々松和紙工房での和紙づくりは、生活に密着している。今の時期(7月上旬)、畑にはトロロアオイが若葉を広げ、三椏と楮の苗も育ち始めている。庭にある大きな水槽には山水が絶え間なく流れ、裏山には道具に使う竹や和紙にすき込む紅葉が茂る。
  千々松哲也氏は、畑に出てトロロアオイの間引きをしたり、白皮のキズ取りをしたり、商品の加工や包装をしたりと、こまめに幅広く作業をされる。自分はつい、いろいろなことを「決めた日に一気にやろう」などと思いがちなのだが、まさに今日、「間引きは一日でやれることじゃないんじゃから」と仰ったのを聞いて、和紙づくりは自分の都合でなく、原料の都合で進めるものだという認識を新たにした。

G7;a!_A%@%!K_ 3 トロロアオイの苗_

 

楮の障子紙(未晒し)を作る工程を紹介しよう。
(※写真は年間を通じて撮ったもの)

<原料の煮熟>  
 楮の白皮を水に浸けて一昼夜ほど置いておく。かまどに薪をくべて火を起こし、大釜でお湯を沸かす。自分で薪割りもするが、未だにへっぴり腰で空振りする。薪のくべ方は少しコツを掴んだが、火起しが下手で、特に湿気のある日は悪戦苦闘。目を離すと火が消えてしまったり、薪が弾けて破片が飛んできたりするので、うっかり者の自分は、「しまった!」「危なかった!」と小さく叫びながら作業している。
 一時間ほど薪を焚いてお湯が沸いたら、原料の状態(皮の堅さや保存期間の長さ等)に合わせて重量の2割前後のソーダ灰を入れてから楮を投入。途中で上下を返しながら数時間煮熟し、白皮が手で簡単にちぎれるほどの柔らかさになったことを確認したら、釜から上げて流水で二日ほどあく抜きする。

 

4 煮熟釜

 

<チリより>
 あくが抜けたら、白皮に残った外皮や傷、汚れなどを取り除く「ちりより」を行う。この作業を初めてやった時は、あまりに手間がかかるので途方にくれてしまった。丸一日かけて、指の皮がふやけてブヨブヨになっても一向に終わらず、めまいがしたほどだ。チリ一つない未晒し紙を見ると、その根気に圧倒され拍手を送りたくなる。
 チリよりを終えた原料は叩解機(ホーランダービーター)に移して、繊維がバラバラになるまで叩解する。この時、叩解が足りなくてもいけないし、叩解しすぎてもいけない。ちょうど良い状態で機械を止めなければならないのだが、その見極めが非常に難しい。 5 叩解機

 

トロロアオイ>
 紙漉きに欠かせない「ノリ(ネリ)」はトロロアオイを使う。根を洗って木槌で叩き、水に浸けておく。この摩訶不思議な植物を初めて叩いた時は衝撃を受けた。叩き潰した直後から粘液が出てきて、まるで「映画に出てくるエイリアンのよだれ!」。粘りは強力で、根から出た液を漉し布から絞り出すのに一苦労する。

6 トロロアオイの根

 

<漉き舟の準備>
 あらかじめ、漉き舟に水を張って簾桁を水に浸しておく。紙床(漉いた紙を置く台)に定規(簾を紙床の定位置に置けるようにするための支え)をセットし、紙床に水をかけて湿らせておく。
舟に叩解した楮を入れてよく混ぜてから、トロロアオイの粘液を漉し布で絞って入れてよく混ぜる。トロミのついた大量の水を竹の棒でかき混ぜるので、全身を使う。初めの頃は毎日筋肉痛になった。 トロロアオイの粘り気は水温によって変わるため、適切な量を見極めて配合するのが難しい。千々松哲也氏は迷いなく原料とトロロアオイの分量を指示してくださるが、自分でやる時は、配合に迷って時間ばかりかかる。時間が経つほどトロロアオイの効き目が薄まるため、また絞り出して追加投入してかき混ぜることになり、紙を漉く前にヘトヘトになってしまう有様だ。

7 漉き舟と簾桁

 

<紙漉き>
千々松氏は「波漉き」で紙を漉く。その手際良さ、リズム、水が整然と簾桁の上を走る様子は美しく、無駄がない。繊維が均一に積み重なり、きめ細かくチリの無い紙に仕上がる。 自分でやってみると、全くできない。一連の動作がぎこちなく、水はあちこちに飛び、こぼれ、簾の上に積み重なった繊維に波(シワ)が入り、ムラができる。特に簾桁に汲み上げる水の量と揺らし方が少ないと、繊維だけでなくチリも一緒に繊維の層に入ってしまうため、手早くタイミング良く適切な強弱をつけて簾桁を動かさなければならないのだが、そこが難しい。 自分の不器用さと飲み込みの悪さにもどかしい思いがこみ上げてくるが、「次こそ!」と意気込むと体がこわばって更に失敗するので、「焦らない、焦らない」と言い聞かせている。

 

<圧搾>
漉き終えたら、一晩、自然に脱水させてから、紙床を圧搾台に移して重石を乗せ、30分ごとくらいにジャッキをかけて徐々に水を絞る。 一度、B4サイズくらいの小さな紙を漉いて、自然脱水が不十分なままジャッキをかけてしまい、紙床をグシャっと潰してしまったことがある。障子紙サイズだったらと思うとゾッとする思い出だ。

<乾燥>
紙床に強くジャッキをかけても、水が出なくなるくらい圧搾したら、乾燥工程に移る。 ステンレスの乾燥機を60度前後に温めて、刷毛で紙を張り付ける。この時に、紙の湿り気が丁度良いと、一枚一枚が紙床から剥がれやすく、作業がしやすい。自分の漉いた紙は、そもそも厚みにムラがあり、端もヨレているから剥がしづらい。ムラによって乾燥も均一に進まず、端がひきつってしまったりシワが入ってしまったりする。また、漉いた時に「ノリ(トロロアオイ)」が不足していたり、簾桁の揺らし方が弱すぎたりすると、紙床で上下の紙とくっついてしまうことがある。今の自分は不良品を量産している状態だ。

以上が大まかな流れだが、和紙づくりをしていて思い知らされるのは、全ての工程は繋がっていて、どこかで過不足があると、後の工程全てに影響してしまうということだ。原料の状態を工程ごとに観察して、最適な薬品量や煮熟時間、叩解時間、原料とノリ(トロロアオイ)の配合量を見極めること、圧搾した紙床の状態を見て、適度な湿り気を見極めること等、まだまだできていない。先は長い…!

 

工房と徳地和紙取扱所

千々松和紙工房  山口県山口市徳地島地613-1 
千々松和紙工房の製品は、以下の店舗でも購入可能です。山口にお越しの際はぜひお立ち寄りください。

☆特産品・特産物加工販売所「南大門」 住所:山口市徳地堀1565-1 開館時間 9:30~18:00(月末日 9:00~12:00)年中無休(12月31日~1月2日を除く) https://www.facebook.com/徳地特産品販売所-南大門-1557377237838570/

☆徳地和紙の店「風伝」(ことづて)  住所:山口県山口市後河原152 営業日・時間:木・金・土 AM10:00-PM5:00 (第一日曜のみAM9:00-PM4:00) TEL: 090-4801-8906 (富永)

☆café KOTI 住所:山口県 山口市徳地堀1747-7  http://cafekoti.com/

◆和紙情報

各地の和紙を次世代につなぐために 
ー 遠野(福島県いわき市)と徳地(山口県山口市)でガンバル地域おこし協力隊 ー
「地域おこし協力隊」とは、国(総務省)の取組みで「制度概要として都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を移動し、生活の拠点を移した者を、地方公共団体が「地域おこし協力隊員」として委嘱。隊員は、一定期間、地域に居住して、地域ブランドや地場産品の開発・販売・ PR等の地域おこしの支援や、農林水産業への従事、住民の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、その 地域への定住・定着を図る取組。」と発表されています。活動期間は概ね1年以上3年以下、特別交付税により財政支援 1地域おこし協力隊員の活動に要する経費:隊員1人あたり400万円上限とするものです。
詳細は以下総務省HPを御覧下さい。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/index.html
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html
 平成27年度は全国で隊員数2,625人、664市町村で活躍しています。その中で和紙の継承や再生に取組む産地から、2ヶ所、現在和紙作りと格闘中の山口市徳地和紙協力隊と来年度の募集を始めたいわき市遠野和紙の紹介をします。

 

特集「技術継承を目指す地域おこし協力隊の活動『山口徳地手漉き和紙』編」
(HP3回特集)
 昨年春に山口市地域おこし協力隊となった船瀬春香(ふなせはるか)さんにお願いをして、ご本人の体験を通して和紙と地域おこしについて3回にわけて語っていただきます。船瀬さんは現地に行く前に、それまで和紙が身近になかったことから、できるだけ多くの和紙とその内容や状況を知って現地に臨もうとし、昨年3月に和紙研の例会も見学され、他に和紙産地・工房、博物館や展示館に赴き、関連展覧会やイベントを観覧し、関連資料などから様々ことを学ぼうとし、自分が進もうとするところへできるだけ準備をして行こうとしておりました。その姿を知りこの特集のお願いをしました。経験を踏まえていただくために2・3回目は、間の時間をとって夏(7月)・秋(10月)の予定ですが、作業状況によって月が変わるかもしれませんのでご了承下さい。
 全国の歴史的和紙産地には同じような状況があると思いますし、これらの制度も利用して、何とかの次世代にその土地の和紙を伝えていけることを願っています。和紙作りの現実は大変だと思いますのでエールを送ってあげて下さい。(HP担当日野)

 

第1回「徳地和紙紹介と協力隊参加」
                 山口市地域おこし協力隊 船瀬春香

800年以上の歴史をつなぐ徳地和紙

徳地を流れる佐波川(さばがわ)
①徳地を流れる 佐波川I
「徳地(とくぢ)和紙」をご存知だろうか。山口県山口市の中山間地域である徳地に伝わる手漉き和紙だ。鎌倉時代初期、源平の戦いで消失した東大寺の再建用木材を求めて徳地を訪れた、重源上人により伝えられたとされている。(実際にはもっと古くから紙漉きが行われていたとも言われている)
江戸時代には毛利氏の「三白政策」(※下記参照)の下に紙漉きが奨励され、生産量も技術も向上、明治34年には4,388戸が紙漉きに携わっていたが、洋紙の普及で一気に衰退した。それでも徳地和紙は消滅することなく、現在も、「千々松和紙工房」の千々松哲也氏(山口市指定無形文化財)、「山内農場」の山内幸彦氏、「重源の郷」の粟屋香澄氏が徳地和紙を漉いている。
 また、平成26年には地域の有志による「山口とくぢ和紙振興会 結の香」が発足した。

栽培されている三椏
②栽培されている三椏 syou

地図
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サラリーマンから和紙職人に
 歴史ある徳地和紙を守り継いでいくために、山口市は平成27年に嘱託職員2名(「地域おこし協力隊」)を採用した。その一人は千々松哲也氏の息子さんで、大阪からUターンした千々松友之氏、もう一人が東京から移住した私だ。

③楮のそぶり(皮剥き)作業 左:千々松友之氏、右:船瀬春香
③楮のそぶり(皮剥ぎ)作業左:千々松友之氏、右:船瀬春香 syou

 

④そぶり道具
④楮のそぶり道具

 

千々松友之氏と私は共に40代。二人とも会社員生活から一変し、徳地和紙の伝統と技術の継承を目指して和紙作りを学び始めたが、当初の私は原料や道具の名称さえ分からない状態。千々松哲也氏と山内幸彦氏に、原料を煮るための薪割りや火おこしから教えてもらうことになった。
 木の皮がほどけて繊維になっていく変化に関心し、トロロアオイの粘りに驚き、簾桁ですくった水の重さに面食らいながらの作業だ。初めて漉いた楮の障子紙は、ムラがあって乾燥時にうまく扱えず、全て破けてしまった。今もわからないことばかりだが、木の繊維を美しい紙に仕上げる先人の知恵と技を、身を持って学べることに喜びを感じている。

⑤千々松友之氏、乾燥中の楮 
⑤千々松友之氏、乾燥中の楮 shou

⑥原料の煮熟 
⑥原料の煮熟 

⑦楮の煮熟後の晒し 
⑦楮の煮熟後の晒し

⑧紙漉き(楮の障子紙) 
⑧紙漉き(楮の障子紙)

⑨地元の木工所に作ってもらった名刺簾桁
⑨地元の木工所に作ってもらった名刺簾桁I

 

なぜ手漉き和紙の世界に飛び込んだのか
 東京で20年間オフィスワークをしていた自分が、なぜ山口に移住して手漉き和紙に関わろうと思ったのか。その理由は、「日本と海外をつなぎたい」という思いと「ものづくりへの憧れ」だ。
 私は学生の頃から英会話が好きだったので、英語を使って日本と海外の架け橋になるような仕事をしてきたが、いつ頃からか、ものづくりへの憧れを持つようになっていった。また、新聞や雑誌などで日本の伝統産業が後継者不足に悩み、消滅の危機にさらされているという記事を読むたび、自分にできることはないかと思っていた。しかし、具体的にどうすればいいかはわからず、年齢的にも職人に弟子入りするには遅いと思っていた。
 そんな中、地域おこし協力隊が「徳地手漉き和紙の技術継承者」を募集していることを知り、これはチャンスと迷わず応募した。
 とは言っても、実は、「手漉き和紙」に特段の思いを持っていた訳ではない。応募を決めてから和紙専門店を覗き、紙漉き体験もしたが、自分の生活に和紙製品が一つも含まれていなかったことにショックを受けたほどだ。
 ただ、子供の頃から色々な種類の紙を集めてカードやアルバムを手作りしていたし、紙と文字と立体物を組み合わせたコラージュがとても好きなので、「紙」という素材が、他のものよりも好きなのだと思う。
 改めて考えると、私にとって、「ものづくりへの憧れ」は、自分の手で美しいものを生み出せるようになりたいという願いだ。それができたら、美しいものを通じて日本と海外をつなげていきたい。この二つの願いを叶えたいと思って、手漉き和紙の世界に飛び込んだ。
 今後の連載を通じて、徳地の魅力や徳地和紙の今、地域おこし協力隊の活動、山口の和紙スポット等を紹介していきたい。
 最後に、私が地域おこし協力隊に応募しようと思ってから和紙の勉強を始めたところ、和紙文化研究会とご縁が生まれ、このような形で情報発信の機会を頂いた。心より御礼を申し上げたい。

⑩3月下旬の佐波川 
⑩3月下旬の佐波川I

※ 三白政策とは
江戸時代に、毛利藩が藩財政強化のために行った殖産政策で、米、紙、塩の「三白」(櫨蝋を加えて「四白」とも言う)の増産を図った。

 

工房の場所(Google map)(工房は「山口観光コンベンション協会徳地支部」に併設・常勤していません)
https://www.google.co.jp/maps/place/ 山口観光コンベンション協会徳地支部

 

遠野和紙へ協力隊求む
 「遠野和紙」は、クワ科の楮を100%使用した手漉き和紙で、丈夫で、2年、3年と経過するにつれ、より白くなるという特徴がある伝統的和紙です。遠野地区では約400年前から紙漉きが行われており、江戸時代には「磐城延紙」のブランドで、江戸に出荷されていました。古くは武家の記録用紙や障子紙に使われ、現在では地区内の小・中学校、高校の卒業証書や市政功労表彰状などに用いられています。
 しかし、1973(昭和48)年には遠野地区に漉屋が1軒のみとなり、1986(昭和61)年、「いわき和紙製作技術」として、いわき市の無形文化財に指定となるものの、2014年に技術保持者が亡くなったことにより、指定が解除され、その伝統の技が途絶えようとしていることから、「遠野和紙」の制作技術の習得、継承に意欲のある人材を地域おこし協力隊として募集することしました(協力隊募集はH27年度から実施しています)。     〔いわき市地域振興課〕

募集人員:2名 20歳以上 男女不問
賃金:月額160,000円(賞与年2回、各0.25ヵ月)
雇用期間:採用決定後から平成29年3月31日まで(予定)最長平成31年3月31日まで延長可。
受付期間:平成28年4月1日(金)から5月10日(火)まで
他に諸条件がありますので以下に問合せ下さい。
いわき市市民協働部 地域振興課(〒970-8686 いわき市平字梅本21番地  TEL0246-22-7414)
http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1458088327708/index.html